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月間特集 被災地支援活動を体験して

被災地支援活動を体験して

医療社会事業部 里・大嶌

私たちは、3月11日に起きた東日本大震災を受けて、そのあまりにも甚大な被害と被害状況を伝える報道等を見聞きするたびに強く心を痛めていました。精神保健福祉士として何ができるのだろうかと常に考え日々を過ごしていました。そのような中、社団法人日本精神保健福祉士協会が「東日本大震災対策本部」を設置し、宮城県東松島市、福島県南相馬市を拠点に被災地支援活動を開始、私たちもボランティア登録を行い実際に被災地支援活動に行って参りました。里は7月17日~7月23日の期間で宮城県東松島市、大嶌が8月31日~9月7日まで福島県南相馬市で活動しました。まだ自分達の中でうまく考えが整理できていませんが、活動内容や感じたことをまとまりのない文章ではありますが報告しようと思います。

宮城県東松島市での活動内容報告

医療社会事業部 里祐子

震災から約4ヶ月が経った頃、私は日本精神保健福祉士協会災害対策本部からの派遣で宮城県の東松島市へ行かせていただきました。現地入りの日、仙台からJR線を利用したのですが、地震と津波により線路が寸断され、途中からは代行バスで向かいました。多くの方の乗客があり、普通に生活を送られてように見受けられ、一見、被災地に来たという印象は感じられなかったのですが、バスの窓から見える景色が、ある地区に入った途端、がらりと変わっていきました。家や建物が全て破壊されたままの状態、車は何台も転がり、どこも瓦礫の山があふれ、人や動物の姿も見えない風景が拡がっていました。その範囲は想像を絶するほど、どこまでも続いていました。

実際に支援活動に入り、被災者の方々を訪問し、不眠や不安、恐怖感、うつ状態が続いていないか、自殺の可能性はないか、医療機関につなぐ必要があるか、などをアセスメントし、市の保健師さんに報告し、調整してもらうこと、また、次の派遣員につないでいき、フォローを継続させていくのが私たち支援員の仕事でした。

私がバスの中から見た地区で被害に遭われた方々のところにも訪問しました。ある方は家族を津波に流されて亡くし、一人きりになり、まだ避難所で生活をされていました。またある方は、隣の家のご家族が目の前で流されるところを見て、未だその光景が焼きついて離れず、助けられなかった自分を責め続けながら、仮設住宅で毎夜眠れない日々を送られていました。東北の方たちは思いやり深く、我慢強く、人に弱音を吐かないという県民性があると聞きました。本当にその通りで、自分も大変な被害に遭われているのに、「うちより大変な人がいるから、悲しいなんて言えない」とか「うちだけ被害に遭わなくて申し訳ない」という話を耳にしました。そのような県民性を持ち、しかも大切な人や物を失ってしまわれた被災者の方たちに対し、私自身の派遣期間は一週間で、一人の人に対しては一度きりの訪問で、何かできることがあるだろうか、どのように対応していいだろうかと、本当に悩みながら、あっという間に毎日が過ぎていきました。

最終日、活動の拠点となっていた東松島市保健センターの隣にあるコミュニティーセンターで、大規模な復興支援のお祭りがありました。遠方から徒歩で、多くの人が集まり大変な賑わいとなっていました。帰りのバスの中、私の隣に座られた高齢の女性も津波で車を流され、自転車が抽選で当たると聞き、早朝から行ってみたとのことでした。その方も津波で車を流されたので自転車が必要とのことでした。その姿をみて、立ち上がろうとする人間の力強さを感じたような気がしました。復興まで何年かかるか未だ見通しが立たず、津波のことを決して忘れる日がくることはないだろうとは思いますが、一日でも早く、穏やかな生活が戻るよう祈っています。

福島県南相馬市での活動内容報告

医療社会事業部 大嶌高昭

東京駅から福島県行きの新幹線に乗り、福島駅に到着。福島駅からは臨時バス(福島第1原発事故の影響で浜通り地方のJRは運休中)で南相馬市(緊急時避難準備区域)に向かったのですが、正直申しましてその行きのバスの車内は不安な気持ちでいっぱいでした。原町駅に到着し、無人の駅のホーム、草が伸び放題の線路を見て自分は今、紛れも無く「福島に来ている」と実感しました。

活動内容は、協会員である精神保健福祉士が2名1組でチームを組み、南相馬市の原町保健センターを中心に主に保健師の精神保健分野のフォロー的業務、避難所や仮設住宅スタッフのフォローを行なっています。私が派遣された当時は、避難所が閉鎖・統合され数が少なかったので、主に①仮設住宅や避難所への訪問による相談面接、②記録の作成、③会議参加と資料作成がメインでした。あくまで、サポートしている方のサポートをこころがけ、公的機関が休みである土、日も活動し、継続的な支援を行いました。また、協会員がローテーションを組んでバトンリレーで支援を行っているので、前任者から支援内容の申し送りを受け、後任者へ責任を持って引き継ぐという作業も大事な活動内容でした。

活動を通じて感じた事は、被災された方々が震災・津波による家族・生活状況の変化に加え、原発による内部被爆や風評被害、先行きの見えない不安という二重苦に苦しんでいるという事。また生活環境が避難所から仮設住宅に移りこれまで語られていなかった様々な事が少しずつ語られ、喪失感や孤独感、絶望感を感じ始めていること。それに伴い、不眠、抑うつの症状やアルコールやギャンブルなどの問題が出てきているという事でした。そのような状況に対して私が感じた事は「関心を持ち続けること」です。今、社会では震災から半年が経ちテレビ等でも少しずつ震災の事が取り上げられる回数が減ってきています。この震災はこれからが、大切な時期です。復興に向けて以前よりも増してより多くの支援が求められるのではないかと思いました。

仮設住宅を回る私たちに対して、暑いだろうからと言って、ご主人を亡くしているにも関わらず栄養ドリンクを冷やして待っていてくれたお母さん、自分達も大変な状況なのに、台風で甚大な被害を受けた被災地の事を心配する保健師さん、福島の人たちにこちらが力を貰う事が多かったです。最後に活動中、南相馬班のテーマ曲となった名曲、猪苗代湖ズ(福島県出身のミュージシャンが集まって結成したバンド、一度は聴いてみて下さい)の「I LOVE YOU&I NEED YOU ふくしま」という曲を紹介して、まとまりはありませんが報告とさせていただきます。ありがとうございました。