トップ > 月間特集 : 東日本大震災について「相馬滞在記」

月間特集 東日本大震災について

相馬滞在記

医師 小林幹穂

福島県立医大こころのケアチームの一員として、相馬市を中心に10日間ほど滞在してきました。何をどう報告すべきか今なお逡巡しておりますが、私なりに感じたことを記しておこうと思います。

福島県相双地区(通称浜通り)には元来5つの精神科病院がありましたが、福島第一原発の事故発生により3ヶ所が避難区域(現在は警戒区域)に、2ヶ所が屋内退避(現在は緊急時避難準備区域)に指定され、全ての精神科病院が閉鎖されました。また2ヶ所あった外来クリニックも一時閉鎖され(現在は再開中)、この地区で精神医療を担うべき社会資源がほぼ壊滅の憂き目に会いました。入院していた患者さんたちは相双地区以外の病院に転院しましたが、在宅の通院患者さんたちはいきなり行き場を失ってしまった訳です。そのため福島県立医大の丹羽教授が中心となって、まず相馬市内の公立病院内に臨時の精神科外来を設置し、避難所を巡って患者さんたちを拾い上げ、外来につなげるという作業が必要になりました。丹羽教授の呼び掛けで全国から次々と精神科医が応援に駆けつけましたが、私もその中の一人として4月8日に福島入りした次第です。

津波被害の惨状に関しては多くの報道機関等が伝えるとおりですが、ここ相双地区は放射線による被曝というまた別の要素が重なり、しかもそれは現在も進行中です。このダブルインパクトによる被害は地域社会を分断し、現実を今なお解離し続けています。実際、南相馬市などは警戒区域、計画的避難区域及び緊急時避難準備区域にきれいに3等分され、ひとつの町としての統一性はもはやありません。また徐々に復興しつつある町並みがある一方で、いまだに遺体の回収もままならないガレキと化した地域もあり、それらがたった一本の道路を隔てて隣り合ったりしているのです。かつて9.11のときに私たちは現実のほうがよほど解離するのだということを痛感しましたが、残念なことに3.11でも再びそれを突きつけられた感じです。

また、この相双地区が精神病者監護法成立の発端となったいわゆる相馬事件ゆかりの地であることも、何とも皮肉というか警鐘のように思えてなりません。相馬事件の詳細は他に譲りますが、私は以前から明治32年の北海道旧土人保護法とその翌年の精神病者監護法ほど差別的で、そして今日までおよそ100年続いたスティグマの元凶となった法律はないと思っているので、この相双地区が陥った精神医療の危機的状況を見るにつけ、我々が見据えるべき問題の根がどこにあったのかが改めて明らかにされたような感じを抱きます。

復興そして回復までまだまだ気の遠くなるような時間が必要だと思います。後ろ髪を引かれる思いで福島を後にし、まだまだ考えも気持ちも整理できていませんが、とりあえず感じたことを報告しておこうと思います。